[公開日]2014/05/04
[更新日]2017/01/20

■「ネットばっかやってると薄っぺらな人間になる」の真意について。

今日のテーマは“「ネットばっかやってると薄っぺらな人間になる」の真意について。”です。

インターネットを意味もなく嫌っていたり、拒絶反応を示したり、偏見の目で見ている方にはこのような考えがあるように思うので、僕の考えをここに記します。
ではどうぞ。

目次
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1、インターネットは薄っぺらな存在かどうか。
2、「聞く力」の阿川佐和子さんが言う。「ひとは球面体だ。」
3、どれだけ他の面を想像できるか。

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1、インターネットは薄っぺらな存在かどうか。

この議論をしたがるひとは、
「もっとリアルな経験をするべきだ。ネットばかりやっても本当の経験にはならない」
という主張をしたがる方です。

こういう言葉を面と向かって言われたことはありませんが、言外にそういうポリシーを持っているな。と思う方と多く出会います。
あんまり根拠がないし、イメージだけで判断してる。むしろ、自分が使いこなせないひがみだろう。と僕は感じます。

ドコモショップで働いてるときもそうでしたし、
「ブログ書いて生活してます」って自己紹介したときも、そのようなことを言われます。

「ネットを使いこなしてるひとの方が、ずっと世の中のことに精通してるし、質の高い経験をしてるし、人間的にも優れている」
ということを、僕は声を大にして言いたいのですが、それも全く根拠がないし具体的でもないので、検証してみます。

2、「聞く力」の阿川佐和子さんが言う。「ひとは球面体だ。」

週刊文春で19年、対談インタビューを撮り続けた阿川佐和子さんのベストセラーに、こんなことが書かれていました。

聞く力―心をひらく35のヒント

(僕はオーディオブックで聴きました。)

「聞く醍醐味」という章に書かれていたのですが、インタビューのなかで最も楽しくて、「成果が上がった」と思えるのは、インタビューしている相手の意外な面を引き出せたときだ。と言っています。世間一般に「こんなひとだ」と思われているのとは別の面を引き出せたときに、インタビュアーとしての良い仕事ができたと思う。と書かれています。

そこで阿川さんはこんな仮説を建てます。

ひとはみな、360度の球体で、それぞれの角度に異なる性格を持っていて、相手によって向ける角度を調節してるのではないか

おー。これほど分かりやすい表現をしてくださるとは!と思いました。

ひととひとは、対面で向かい合ったとしても、その相手用に用意した顔を持っており、それ以外の顔を見せることはほとんどないのです。
職場では職場用の顔で。
家庭では家庭用の顔で。

従業員としての顔や、親としての顔。サークルの一員としての顔。恋人としての顔。
それぞれに顔を使い分けているのが人間というものです。

そして、僕が年末に書いたお気に入りの図が登場します。

SNS 

SNSには「いい面」しか載せませんよね、という話です。

奇しくもゴールデンウィークにこの図が登場するとは。
SNSも、普通の人間関係と同じように、自分の見せたい面だけを見せてます。という図です。

リアルでの人間関係も、ネットでの人間関係も、基本的には同じで、自分の見せたい面だけを相手に見せてます。
リアルとネットの違いは、「顔」とか「声」とか「しぐさ」は、隠しようがなくて、ほとんどありのままを見せる必要がある点です。

例えば、同じ職場で何年も一緒に働いている同僚。
顔も名前も知っているし、かなりの時間をいっしょに過ごしていますが、なにを考えているか。とか、なにに悩んでいるのか、どんなポリシーなのか、なにを大切に思っているのか、ということはほとんどなにも知らないことがあります。

それと、ネット上で出会う、大切な価値観を分かち合える相手。あるいは、数回しか会ったことはないけど、SNSで繋がっている相手。
これら2種類の人間関係に優劣をつけることはできないでしょう。というのが僕の持論です。

もちろん、「顔も名前も知っている、自分の大切な価値観を分かち合える相手」が最も大事で、みなさんにもそんな方がいると思います。
しかし、人生においては「顔も名前も知ってるけど、なにを考えてるかよくわからないひと」や、「顔も名前も知らないけど、大事な価値観だけは分かち合える相手」との関わりも多いのです。

3、どれだけ他の面を想像できるか。

今回はわかりやすいので人間関係のことをとりあげましたが、他の物事も基本的には同じです。

仕事や会社、社会現象。そのどれもが、「多面体」です。(阿川さんは“球面”と表現していましたが、僕はこっちの表現が好きです)
そしてそれらは、必ず「見せたい面」だけをこちらに見せてきます。

リアルにおいてもネット上においてもこれは同じで、
相手が「見せたい面」だけを見て、ほいほいと信じ込んでいたり、その奥を洞察できなかったり、相手への配慮ができないのであれば、それはきっと「薄っぺらい人間」のできあがりだろうと思うのです。

「この面を見せるということは、本当はこうだ」
「いまは仕方なくこの面を見せているだけで、こういう面もある」
「この面を見せることで、こちらにこういう影響を与えようとしている」

という方向に意識が向かなければ、そのひとはリアルにおいてもネット上においても、薄っぺらい人間となるでしょう。

「薄っぺらなひと」になるか、「中身が伴ったひと」になるかは、リアルかネットか、という議論ではなく、どこまでこのことを理解しているか、にかかっているのです。

今日の記事は以上です。
最後まで読んでくれてありがとうございました!

またのお越しを、お待ちしています!

 

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