■「遊び」と「勉強」の間の壁はドンドン溶けて、「実践」との距離はますます開く

今日は久しぶりの雨でしたね。
夏のあいだ海の家で働くのはマラソンみたいなものなので、雨が降って休みがとれるのは嬉しいことです。しかも月曜日だなんて!まさしく神の恵み!
去年は土日に雨が重なって、売り上げに打撃があったな〜と思い出したりしてます。

まぁ僕は今年は土日のみの参加なので、どちらにしても平日はずっと自宅待機なのですが。

今日の記事はものすごく抽象的な話なので、こういうことを普段考えないひとからしたら「はぁ?」になってしまうのですが、
こういう話題が好きなひとにとっては、ひとつの指標になる内容です。

では、目次からどうぞ。

目次
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1、過去、「遊び」と「勉強」は別物だった。
2、広がり続ける「実践」との距離
3、その原因。

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1、過去、「遊び」と「勉強」は別物だった。

遊び 勉強 実践

抽象的な話をするときは、絵を描く。

いままでの時代は、「遊び」と「勉強」は、別物とされてきました。

「遊び」は楽しむため。自己満足のための無意味な行為とみなされ、
「勉強」はなにかを実践するための踏み台として。あるいは、後日、誰かに試されるため。

この2つは完全に別々のものとしてほとんどの場面で使われてきました。
そして「勉強すれば偉い」という価値観と、「遊んでばかりではダメだ」という価値観を、僕たちの中に埋め込みました。

その価値観を可視化する為に、仮に「何かの役に立つ度」という目盛りを用意しました。
最も役に立つ行為を「実践」とすれば、「実践」ほどじゃないけど「実践」に次ぐぐらい役に立つのが「勉強」であり、ほとんどなにも役にたたないのが「遊び」。

目盛りを作れば、「遊び」と「勉強」の間にある壁の存在がわかりやすいです。

 

しかしこの2つの間の壁が、ものすごい勢いで溶けていっているのが現代です。

即ち、「遊び」の存在意義が大きくなっていき、「勉強してるより、遊んでる方が、役に立つんじゃね?」となり、
勉強の意味が見る見る失われていき、「勉強とかいくらしても、実践に意味なくね?」となっていきます。

具体的な例を出すと、「ブログを書いて自己表現したい!」というひとが2人、現れたとします。

ひとりは、ただテキトーに、面白く楽しんで、ブログを書くことを楽しんでます。遊んでます。
ひとりは、ブログについて勉強し、周辺分野について調べ、ブログについて詳しくなります。

最終的に大きな結果が出て、なにかの役に立つブログを書けるのは、間違いなく前者です。ブログで遊んだひとが、「ブログで自己表現したい!」という欲求を叶えることができるのです。

 

伊勢丹に出品した、カバン職人の友達も、
彼はずっとカバンを作ることを楽しんで、遊んでいました。かなりの期間、彼にとってカバン作りはただの趣味でした。決して、カバンを作ることに関する勉強をカリカリしていたわけではありません。

英語を話すことにしても、英語を楽しんで使っているひとほど伸びが早く、カリカリと勉強するひとは、驚くほど同じレベルに何年も停滞していることが多いです。

あるいは、子どもに「youtubeばっかり見てないで、勉強しなさい!」と怒っている間に、子どもはyoutubeで動画を作ってビジネスを起こすことを発見してしまうかもしれない。
スマホばっかりいじってる間に、新しいアプリを作っちゃうかもしれない。

そしてみなさんが読んでるこの「ふじさわブログ」だって、「クラッシュオブクラン」というゲームに関する検索での流入がかなりあります。全体の4分の1くらいはそのゲーム関連でのアクセスです。つまり僕の収入の4分の1くらいは、このゲームをただ遊んでいて、それに関して記事を書いたことによって得られているのです!アメイジング!

 

2、広がり続ける「実践」との距離

遊び 勉強 実践

なぜDoだけit をつけたのかは不明。

こうして「遊び」と「勉強」の間の壁が溶けていきます。
カリカリ勉強してるひとと、ワクワク楽しんでるひとの実力がごちゃまぜになっているうちに、遠く遠く背中が見えなくなっているひとがいます。

「実践」するひとです。
彼らは、やるべきことを淡々とやり続けます。

「遊ぶ」ひとが、その場で楽しいことだけをやり続け、「勉強」するひとが過去の知識を頭に詰め込んでいるうちに。
「実践」するひとは、欲しい結果を得る為に必要なことを、必要な分のエネルギーをかけて行動します。あるいは、それをやらざるを得ない状況で活動しています。

また英語を例に出すと、日本にいて英語をいくら楽しんで勉強しても、海外にいって毎日英語を使っているひとには英語力の向上は勝てません。
その点で、僕も行ったフィリピン語学留学は圧倒的に英語力をあげてくれました。

ブログで言うと、ブログを楽しむことよりも勉強するよりも、毎日毎日記事を書き続けられる人間が、圧倒的に大きい結果を出します。すべからく「遊ぶ」ひとには継続力が乏しく、その場その場でただ楽しんでいるだけ、ということが多いです。「遊ぶ」ひとが、継続的に遊び続けると、「実践」するひとになるのか・・・?

 

他のあらゆるジャンルでも、ただ自分だけ楽しんで「遊んで」るひとと、誰かに褒められたり認められるためにがんばる「勉強」するひとを差し置いて、第一線に身を置いて「実践」するひととの差は、圧倒的に広がり続けます。

3、その原因

なぜこんなことを思ったかと言うと、僕はここ最近で「アフィリエイト」というジャンルについて、本格的に勉強を初めました。

関連書籍を10冊近く買い込み、「このジャンルについて誰よりも詳しくなる!」と意気込んでいたんですが、どうも本を読んで「勉強」するだけでは、前に進んでる感じがしないんですよね。
やっぱり「実践」しないと、ほとんど得るものはないよな、と気づいた次第であります。

で、今日のタイトルでもあり、主題である。
「遊び」と「勉強」の間の壁はドンドン溶けて、「実践」との距離はますます開く。
という事態がなぜ起こってるかというと、これ即ち、インターネットの影響です。

インターネットの力によって、全ての知識の価値が下がりました。そして知識を記憶するための「勉強」の価値がドンドン下がりました。
いまや世界中の大半の知識に一瞬でアクセスでき、知識人の意見ですら手軽に手に入る世の中です。

アクセスのカンタンさだけでなく、知識が生まれては消えるスピードも格段に上がりました。
ドンドン新しい知識や情報が生まれ、相対的に過去の情報の価値が下がります。
「勉強」は必然的に過去の知識を頭に入れるので、無意味な情報を記憶してることも多いです。
一方で「実践」者は、否が応でも最新の情報に触れる機会が増えます。

 

そして「遊び」が、より「実践」的になっていっています。
こちらもインターネットの力が影響することで、小さな規模でもスターになりやすくなってきているからです。

僕自身がその際たる例で、インターネットの力がなければ、まずは大手の出版社か新聞社にコネを作り、徐々に実績を積み重ねて、世に自分の書いた文章を広めるしか方法がありませんでした。
しかし自分の文章をインターネットに載せることで、毎日1万人に自分の書いた文章を読んでもらえる状況になっているのです!

どんな分野であろうとも、インターネットにのっけることで小さなマーケットにも発見してもらいやすくなり、その小さなコミュニティにおいてスターになりやすくなりました。
こういうインターネットの性質を理解しておくことで、「何事かを成し遂げたい!」というひとには大きく有利になります。

 

ということで今日の記事は以上です。

今日の記事をまとめると
「なにか結果を出したいなら、カリカリ勉強するよりも、遊ぶように活動し、できるだけ早く多く、実践を積み重ねよう!」
でした。

では、またのお越しをお待ちしております!

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ふじさわ

ブログでご飯を食べるようになってから4年目に入りました。 元ドコモ店員で、昔は「iPhone愛用中ドコモ店員」という名前でやってました。ノークレイジーノーライフ! 詳しいプロフィールはこちら