いままで何度か、「片付け」について書いてきました。
■停滞から抜け出したいなら、片付けをしなはれ。モノを減らしなはれ。
この「要らないモノを捨てて身軽になる」という技術は、これまでに何度も僕の人生を押し進めてきてくれました。
そしてこれからも、何度も何度もこの技を使って僕は生きて行くのでしょう。
軽やかに、自由に人生を生きるために必要な技術とも言えます。
そこには「片付けの魔法」「断捨離」からはじまり、「もたない暮らし」など、多くのベストセラーと言葉が生まれてきました。
そして「ミニマリスト」も、同じような概念として世に広まりつつあります。
しかし。
これらの「要らないモノを捨てて身軽になる」というのを、「貧乏だから広い部屋に住めないし、モノも買えないことへの言い訳」に使いだすと、最高にダサいよね。というのが今日の記事です。
目次
1、読んだ
2、4つめの要因
3、エッセンシャリストであれ
1、読んだ
・・・という主旨の記事を書こうと思ったのですが、「ミニマリスト」を表面的にしか理解せずにこんな記事を書いてはダメなので、本を読みました。
ふむ。なるほど。
予想してたような内容とほとんど一致したし、この本の内容は素晴らしい。さて、「「ミニマリスト」を貧乏の言い訳に使うんじゃないぞ」を書くか。
と、、、その前に。
あら。掃除してしまった。
僕の中にある「片付け遺伝子」が、この本に反応して、ガサゴソと不要品を排出しました。
改めて思ったけど、家の中の不要品を処分するのって、本当に快感。
2、4つめの要因
佐々木典士さんは本の中で、現代にミニマリストが流行る要因を3つあげています。
①増えすぎた情報とモノ
②モノを持たないですむ、モノとサービスの発展
③東日本大震災
それぞれの解説は本に譲りますが、どれも納得の解説でした。
僕はここに4つ目の要素を加えたいと思います。
④貧困の増大
説明するまでもなく、日本にもドンドン貧困層が出現しています。貧富の差が拡大しています。
広い家に住めず、欲しいものも十分に買えない、国民の大多数の人々です。
貧困層が増えていることは仕方ないのですが、そこで「ミニマリスト」とか「持たないくらし」とか言って言い訳するのは最高にかっこ悪いし、むしろ本来の概念を理解できてないよねと思う次第であります、はい。
僕も昔は「いらないものは持たない主義だ」と言って持ち物を少なくしていた時期はありましたが、それが言い訳だと気づくことができました。欲しいもの買えなかっただけ。
モノに対する欲求を否定すると、自分がこれからもっと稼いで豊かになるのを放棄しているのに等しい気分になります。
じいさんばあさんじゃないですから、自分の収入の限界を見限るような価値観とはおさらばです。
3、エッセンシャリストであれ
「ミニマリスト」という言葉は、「少ない方が正しい」という概念をはらんでいるので、「モノを持つことが悪いことだ」という価値観に陥りがちです。
実際、不要なモノをゴミ袋に放り込んで行くプロセスには、大きな快感が伴います。
しかし「ぼくたちに、もうモノは必要ない」も、「人生がときめく片付けの魔法」も、“モノが少ないほうが正しい”とは書いていません。
「惰性で手に入れたような不要なモノとは別れを告げ、自分が本当に気に入ってるモノだけに囲まれた生活をしよう」
というコンセプトです。
このコンセプトはどちらかというと「エッセンシャル思考」に近いもので、「不要なものを削って削っていった先にある、最小限の最高のものと付き合う」という考え方です。
僕はこの考え方を支持します。
現代社会には、大量生産された質の低いモノが多いですが、誰かが心を込めて作ったり、設計したモノ。明確なポリシーに従って作成されたモノ。人生を豊かにしてくれるモノが多くあります。
それらを手元に置くことで、なにも持たないよりもずっと豊かな人生が送れるはずです。
不要なモノに囲まれた部屋 < モノの少ない、殺風景な部屋 < お気に入りのモノに囲まれた部屋
という感じですな。
ということで僕も「不要なモノを処分することで豊かに生きる」というテクニックをたまに使いつつ、
本当に気に入ったモノとだけ生きるような生き方をしたいと思います。
そして本当に必要なモノを見極めるためには、ある程度の経済力と、多くのモノと出会い、観察眼を身につける必要があると思うので、もっと仕事がんばろうと思います。
またのお越しを、お待ちしています!